oyako-note’s diary

子育てのことや思ったこと 色々と発信していきます🎵

ワーキングマザーでいるために『好い加減』をみつけるまで

生活×仕事のバランスの難しさ。

再就職で大事なのは絶対条件の整理

この記事では、22q11欠失症候群の診断後に経験した仕事と家庭の両立の壁について書いています。

同じように悩んだ方の参考になれば嬉しいです。

▶このシリーズの全体のまとめはこちら

【体験談まとめ】22q11.2欠失症候群の娘 妊娠・診断・治療・療育までの記録 - oyako-note’s diary

 

子供のお世話がある場合の転職活動の難しさ

 

前回でも触れました『疾患を持った子供を抱えた状態での転職活動のリアル』を今回はお伝えさせてください。

 

条件に合う会社の発掘

生活を整えようと転職をするわけですが、なかなか希望に合う職場が見つからず。

しかも条件が多い私はなかなかマッチする職場が見つかりませんでした。

 

家計のために早く働かないとという焦りもありながら、安易に選ぶのも怖かった。

万が一、今の状況を隠して就職できたとしても結局自分の首を絞めることになる。

なので、かなり慎重に就職活動を進めました。

 

職業安定所へ行ってもなかなかマッチするものが見つからず、携帯とにらめっこしていました。

 

会社の面接の内容

正社員はあきらめてパートで短時間での就職へ舵を切りなおそうとしていた矢先、登録していた紹介会社から条件に合った職場の勧めがありました。

 

週収入は減るけど正社員休みも多く少し早目の退社時間柔軟な働き方ができる

 

条件はかなりいい。

面接を受けてみることにしました。

 

面接に行くと偶々、前職で関わりがあった方が採用担当で対応してくださいました。

私の状況をある程度知っている方なので話しやすく助かりました。

 

時間の制約、受診日の確保、子供の体調不良時の突発的なお休み…

 

こちらの条件を『何様⁉️』って言うくらい全部お伝えしました。

ダメでもいいやって言う気持ちでした。

後日、その条件をのんでくれた上で採用のお返事を下さいました。

 

再就職手当で家計も楽に

助かったことが、就職が決まったのちに職業安定所から再就職手当がいただけたことです。

職業安定所経由ではなかったので断念していたのですがなんと手続き可能でした‼

 

職安以外でも、厚生労働省に届け出て許可を得ている職業紹介事業所を経由にて就職した場合は、再就職手当の受給が可能です。

 

とのこと。

 

状況をあやふやにすることなく再就職できたことはとても運が良かったし、さらに手当がもらえるのはとても助かりました。

https://www.hellowork.mhlw.go.jp/doc/saishuushokuteate.pd再就職手当について

 

 

 

『バリバリ働くことが絶対』『どんなことがあっても収入は落とせない』と必死にしがみついてきたけど、勇気がなかっただけかもしれません。

何でも一人でしようとしてしまう私の性格が家族や自分をも苦しめていた。

そのことに気付けたのも娘のおかげです😌

 

 

横には夫がいて仕事も家事も子育ても半分ずつにしていけばよい。

高校生の息子たちも洗濯や食事の準備などできることはやってもらう

3男も同じ、自分でできることを当たり前にできるようになってもらう。

そして娘も・・・

考えてみたら家族のだれ一人、私に仕事も家事も完璧にして欲しいとは言ってないんです。

一人だけで頑張ろうとしていたからバランスを崩してしまいました。

 

 

前職を辞めてから娘が言いました。

『まま、わらった😊』

ごめんね。そうだね怒ってばかりで笑ってなかったね😢

 

 

何事も『好い』『加減』が大事です。

そこで失うものもあるけど、やってみたら意外と見えるものや得られるものの方が大きかったりします。

ゆっくり家族で前に進んでいくことにしました👩‍👩‍👧‍👦

 

今回も読んでいただき、ありがとうございました✨

 

 

 

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【体験談まとめ】22q11.2欠失症候群の娘 妊娠・診断・治療・療育までの記録 - oyako-note’s diary

 

 

体調不良と不安で限界に「育てられないかも」と思った母の本音

んがえ

この記事では、22q11欠失症候群の診断後に経験した母親の負担について書いています。

同じように悩んだ方の参考になれば嬉しいです。

☛このシリーズ全体のまとめはこちら

【体験談まとめ】22q11.2欠失症候群の娘 妊娠・診断・治療・療育までの記録 - oyako-note’s diary

いつのまにか、なりたかった私とかけ離れていく。

 

キャパオーバーの生活

今まで仕事・家事・子育てを完ぺきではないけども、こなしてきた私でしたが、娘の治療というすごく大きな『やらなきゃならないこと』が横入りしてきました。

それでもなんとか踏ん張って全てのことに全力を尽くしていました。

 

そんな生活を続けるうちに、めまいや頭痛、不眠、すぐに涙が出るなど、新進の不調が表れ始めました。

 

病名が判ったことで起こった心と生活の変化

娘の症状に病名が付いたことは、結果的に私の生活の変化や気持ちの不安定さをもたらしました。

本人は何も変わっていないのにです。

 

それ以降の私は

『22q.11症候群』を検索しては、悪いことばかりを思い、自分を責めました

 

小児期からの多様な症状が継続したり、成人期特有の合併症(特に精神疾患)が現れたりする可能性があります。障害にわたる継続的な医療・福祉・教育の支援が重要となります。

 

とあります。また、

 

・症候群を持つ方自身が出産する場合、子に遺伝(50%の確率)する可能性があります。

 

『こんなに頑張っても、これまでと同じように次から次へと問題がこれからも起こり続けるんではないか。そうだとしたら、私はなんでこんなに頑張っているんだろう。』

『私のせいだ。娘を産んだことで誰も幸せにならない。間違えだった』とひどく落ち込みました。

 

今こうやって書いていると本当に最低ですけど、その時は心が完全に壊れているので正常な考えも浮かびませんでした。

 

 

娘の成長が変えてくれた ネガティブからの脱出

 

そんなどん底の時期に開催された運動会での出来事です。

年中だった娘の成長が私の気持ちを変えました。

 

かけっこでは一生懸命走り、最後になって悔しくて泣く。

ダンスは小さな体で一生懸命踊って大きく見せようとする

障害物競争では一緒に走っている子に助けてもらいながら平均台やネットくぐりをやってのける。

そして、最後には大好きな先生に抱き着いて『やったー』と満面の笑みをみせました。

 

 

娘は3月生まれでそれじゃなくてもハンデなのに、身体的にも問題を抱えている。

そんなことモノともせずに目標に向かって走ったり踊ったり。確実に成長をしている。

自分でいっぱいで、こんなに近くにいるのに成長に気付けてなかった・・・

 

私は一人で頑張っていると思いこんで、家でも全く笑うことが無くなっていましたし、イライラして当たり散らすことだってありました。

それで娘を泣かせたこともありました。

 

娘の健やかな健康を願って頑張っていたはずなのに、足を引っ張ていたのは私の方だと気づいたのです。

 

これから先、まずは私が笑顔でいようと決心しました。

仕事を辞めて、心に余裕を持つことを優先しようと決めました。

その翌月末で仕事を退職しました。

ウェイトを家や子供に置くという選択は人生初でしたので、勇気がいりましたが、やってみると気持ちも体も本当に楽になりました。

頭痛等の嫌な症状もなくなり、笑顔も自然に増えて元の自分に戻ることができました。

 

母親の笑顔が子供にとって一番幸せです。いくら療育に通っても、病院での治療を続けても、母親が笑顔を失えば子供にとっては不幸です。

 

そして転職へ

しばらくして落ち着いたらまた仕事を始めました。

今度は残業のない娘のことをしっかり話して理解してもらえる職場を選びました。

☛転職の詳しい記事はこちら

ワーキングマザーでいるために|『好い加減』をみつけるまで - oyako-note’s diary

 

家庭と育児と仕事の両立で悩んでいる人へ

何かしら身体にハンデを持っている子の母親の気持ちは本人でないと本当の理解はなかなか難しい。

私のように精神的にも物理的にも追いやられる母達。きっとある程度の割合でいるはずです。

 

そんな時は思い切って何かを切り離してみるのもいいかもです。

 

自分を大事に。健康で。たまに休みながら進みましょう。

自分1番、子供2番で、そんな心持でもいいのかもしれません。

そして、また明日頑張りましょう‼

 

 

 

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【体験談まとめ】22q11.2欠失症候群の娘 妊娠・診断・治療・療育までの記録 - oyako-note’s diary

 

病名が判ってからが本番だった 終わらない検査と受診と母の本音

いよいよ病院通いが始まります。

 

この記事では、22q11欠失症候群の診断後に経験した受診の多さに生活が圧迫されたことついて書いています。

同じように悩んだ方の参考になれば嬉しいです。

 

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【体験談まとめ】22q11.2欠失症候群の娘 妊娠・診断・治療・療育までの記録 - oyako-note’s diary

 

 

病名が判明したことで、予想されるスクリーニング検査が立て続けに行われます。

先生たちも連携しながら娘に必要な医療を手慣れた感じで進めていきます。

 

 

22q11.2欠失症候群の発生頻度と治療

 

頻度は、やく4000人〜5000人に1人と推定されています。これは国の指定難病の一つであり、ダウン症に次いで2番目に多い先天性の疾患(先天性心疾患や発達遅延の原因として)です】

 

ということで特別珍しい疾患でもないようです。

 

治療は、合併する多様な症状に対して、生涯にわたる多専門分野による包括的診療が行われます。個々の患者の状態に応じた治療計画が立てられます。

 

 

22p.11欠失症候群の(当初の)治療方針:娘の場合

 

低カルシウム血症: 副甲状腺の形成不全または機能低下により、血中のカルシウム値が低下します。これは診断の重要な手がかりの一つであり、新生児期に顕在化することが多いですが、成人期に再発することもある 

⇒ あるかも(小児科:内分泌)

 

低身長: 成長の遅れや低身長がみられることがある  

⇒ ある(小児:内分泌)

 

先天性心疾患: 最も頻度の高い合併症の一つで、患者の約80%に認められます。生命予後に深く関わる。 

⇒ 出生時兆候あり経過見ていく(小児:循環器)

 

免疫不全: 胸腺の低形成により免疫機能が低下、感染症にかかりやすい 

⇒ あるかも(小児:内分泌・循環器)

 

特徴的顔貌: 特徴的な顔立ち(耳介低位、広い鼻底など) 

  あるけど治療なし

 

口蓋異常: 口蓋裂や軟口蓋閉鎖不全を伴うことがあります。 

⇒  あるかも(耳鼻科・形成外科)

 

精神発達遅滞・精神疾患: 発達の遅れや言語遅滞、成人期における精神疾患のリスク増加が報告されています。 

⇒  ある(小児科・リハビリ)

 

足趾の変形:手足の指の長さの異常(短指症など)や、指の関節の動きの制限などが関連する可能性があります。 

⇒  ある(整形外科・リハビリ)

 

とスピーディーな流れで次から次へと貯両方針が決まっていきます。

 

小児科では幸い大きな低身長については今後定期的に検査をしながら、折を見て成長ホルモン負荷試験を入院をして行うことになりました。

自閉傾向はないとのことで精神科は受診せず、小児科でフォローとなりました。

2か月に1回の受診です

 

リハビリは月2回病院での言語リハビリを行います

 

耳鼻科はファイバー検査を行い。鼻腔閉鎖不全が判明。形成外科との連携で、折を見て手術が1回ないし2回以上必要とのことでした

特徴的な鼻声(言語障害)と口から鼻への食べ物の逆流は鼻腔閉鎖不全が原因でした。2か月に1回の受診です

 

循環器では胸腺・心臓・腎臓を検査していきます。エコーでは問題は見られず、今後は3か月に1回の受診となりました。

 

整形外科では足の変形を治療します。装具を作成して毎日装着することになりました。3か月に1回の受診です。

 

ここに後に皮膚科と眼科も加わることになります。

 

 

予想外の受診回数の多さにお手上げ状態に

受診が結構頻繁にあり、しかも大規模病院の教授レベルの先生方の診察ばかりです。

本当に良い先生ばかりなのでありがたいのですが・・・まぁ曜日が全然合いません‼

家から病院までは約1時間かかるので往復2時間です。

なんなら一日で全部終わらしたいところを、ぜ~ん部きれいに違う曜日です💦

唯一、月に2回のリハビリだけはどこかの受診の日にセットで入れることができます。

 

夫と協力しながらなのですが、予後を左右する判断がいるような受診に関しては、結局2度手間になってしまうので私が担当することになりました。

 

なので必然的に私の負担が重くなり、疲弊していきます。

仕事も結構ハードな仕事で、子供の受診の時間を確保する為に21時まで仕事をする日もありました。

おじいちゃんおばあちゃんは両家ともあまり協力的ではないのでここは私たちで乗り切るしかありませんでした。

そして日常の家事全般、兄の弁当も作らないといけない。

それぞれの学校の行事もある。次男の高校ではPTAの役員もある。部活の送迎もある。

3男の野球。あれもある。これもある。の完全キャパオーバーです😵

私があと3人いれば回るのに😢

 

そんな無茶なこと、ずっと続けることはできません。

 

私はついにギブアップをしてしまうのでした💦

 

 

☛キャパオーバーの末に起こったことはこちらの記事

体調不良と不安で限界に|「育てられないかも」と思った母の本音 - oyako-note’s diary

 

 

☛このシリーズ全体のまとめはこちら

【体験談まとめ】22q11.2欠失症候群の娘 妊娠・診断・治療・療育までの記録 - oyako-note’s diary

 

※この記事は、実体験をもとにした記録です。医療的判断については、必ず主治医にご相談ください。

病名が判明した日”不安より安心感が圧倒的だった理由”

娘の病名判明まで

この記事では、22q11欠失症候群の診断がどのようにくだったかについて経験を踏まえで書いています。

同じように悩んだ方の参考になれば嬉しいです。

 

☛このシリーズ全体のまとめはこちら

【体験談まとめ】22q11.2欠失症候群の娘 妊娠・診断・治療・療育までの記録 - oyako-note’s diary

病名が判明するそもそものきっかけ

きっかけは3歳1か月の時に受けた保育園の健康診断でした。

 

◯ 視力が測れない

◯ 身長が低すぎる

 

この2点に関して『要受診』となりました。

 

『忘れないように早く受診しよう。それでさっさと紙を提出してしまおう』

という感じで軽くとらえていました。

 

しかし、受診したときの先生の反応は

『身長が成長曲線に乗れていない。指標がー2.5SDで大きな病院に紹介します』

といったものでした。

私も夫も、大きくはないのでこんなものだろうと鷹をくくっていたものだから、少し慌てました💦

 

大来な総合病院へ初診の日

後日、近くで一番大きな病院の小児科に受診しました。

随分と長い間、待合室で待ちました。娘は待てずにグズグズが止まず、あやすのが大変でした。

 

そして診察室へ。

主治医は眼鏡をかけた50歳半ばの女性の先生です。

とても明るいトーンで話される先生で、少し心が落ち着きました。

 

その日は問診と、考えられる病気の説明がありました。

その病名は『ターナー症候群』でした。

 

先生は娘の顔つきや体形を見るなりこの病名を口にされました。

 

次回の予約と血液検査、そして心臓と腎臓も調べておく必要があるとのことで、小児循環器の予約を取って家路につきました。

 

検査結果判明までの落ち着かない気持ち

気持ちを落ち着かせるために検索するつもりが 追いやられる感情

家に帰って『ターナー症候群』と検索してみると…

低身長、心疾患、心疾患、翼状頸、側湾症、眼瞼下垂、高く狭い口蓋、低い髪の生え際、耳介低位、小さい顎

そして…

性腺機能不全

これが一番ショックでした。

 

意味のない将来の悲観と自責の念

本人が赤ちゃんを産まないと決めて生まないのは別にいい。

でも赤ちゃんを産みたいのに産めないのは本当に辛いことだし

『私の責任だ』

と、まだ病名も決まったわけでもないのに、どんどん悪い方に考えがシフトしていきました。

 

それでも『病名が判明したら今までの育てにくさが解決するのかも』という小さな望みもほんの少しですが、持ち合わせていました。

 

そして結果を聞く日

ターナー症候群は否定された

それから2週間後の受診での検査結果は・・・『陰性』

『え!?よかった~😊』

先生『一先ず今後も受診を続けて身長を観察していきましょう😊』

 

診察室の扉を後ろ手に、『え、待って、じゃあこの育てにくさは何⁉』と解決できないしんどさにモヤモヤした気持ちを抱えていました。

 

新たな病気の可能性の指摘

そして複雑な心情のまま小児循環器の待合へ。

心ここにあらずで娘を抱きかかえながら待ちました。

名前を呼ばれ入室です。

 

心臓をエコーで見てもらって、腎臓を見てもらって『異常なしです』と。

「やっぱりね」と心の中で思った矢先でした。先生は次に

一つ調べてみたい病気があります。顔つきとか、活舌の悪さ…ちょっと心あたりがる病気でがあります。染色体異常の一つになります。ただ、その病気だったからってこれからやることは一緒だけど。調べますか?どうしましょうか。』

と。

私はぜひお願いしたい旨を伝えました。

 

☛22q.11p欠失症候群の症状について書いた記事

ブログはじめてみました👀 - oyako-note’s diary

22q11欠失症候群はどこまでが病気?親が悩んだ“個性との違い” - oyako-note’s diary

 

母親としての心の安定を図るために『決まってない病名は聞かない』

その日も採血をして帰宅。今回はあえて考えられる病名は聞きませんでした。

 

だって『やることは一緒』だったら必要ないですから。

 

ただただ私がこの状態をはっきりさせたいだけ。自分で納得したいだけ。

なのにそれでまた不安になるのは違うなと。前向きでいようと決めました。

 

ついに病名が判明

22q.11欠失症候群と判明

そして運命の日。

先生から告げられたのは『22q.11欠失症候群

提示された検査結果もしっかり提示していただき、欠損している部分も確認できました。

 

私は自然と涙が出てきて、気が付いたら先生に『ありがとうございます』と何度も繰り返していました。

 

病名が判明した時の自分でも想像しなかった安堵の気持ち

不安よりも安堵のほうが圧倒的に強かったです。

”これで医療にかかることができる”

”すべての症状に対して、まずは必要なものの根拠がわかる”

これがその時の一番のメリットでした。

 

治療って根拠が判れば、それに対して手をかけていくのが最短距離。

それが叶ったことがとてもうれしかったのです。

 

さぁ、ついに本格的に治療開始

病気の特徴と今後の治療方針についての説明

その後。小児科の主治医の先生のもとへ行きました。

・先生の指示の下での言語療法士の介入

・発語障害の原因をはっきりさせるための耳鼻科

・足趾の変形(外反母趾)に対する整形外科

へ院内紹介をしていただきました。

低身長についても今後しっかり観察していくとのことでした。

 

小児科医から

『娘さん、お母さんにもお父さんにも似ていないんじゃないでしょうか?この顔つきは特有のものなので…どうですか?』

と言われましたが

 

…ん?

似てるんですよね。夫に。

 

夫も22q.11欠失症候群なのか⁉️笑

 

フェーズの変化”ただの発達障害”から”病気に不随する発達障害の治療”へ 

それまで市町村が運営する『ことばの教室』に月に1回通っていましたが、病院への本格的なリハビリへ移行となります。

その時の言語の先生もとても良い方だったのでお別れが悲しかったです😢た。

こうやって本格的な治療が始まりました。

 

『見つけて潰していく』染色体異常の治療は気の長さが必要です。

さぁ負けずに親子で立ち向かっていきます。

 

次回は言語のリハビリが始まります。耳鼻科でも新たな病気がーーーー。

 

 

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※この記事は、実体験をもとにした記録です。医療的判断については、必ず主治医にご相談ください。

 

療育スタートで生活が激変 福祉の手を借りて分かった現実

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娘2歳5か月、早めの療育スタート!娘はめちゃくちゃアクティブ!💦

初めての療育は大泣きからのスタート

 

いよいよ療育がスタートしました。週2回の利用です。

 

ありがたいことに、幼児の利用料は助成があって0円。娘の施設は昼食が出るので昼食代300円だけの費用で利用できます。

破格です。衝撃でした。

 

普通の習い事をしようと思ったら、知っている限りそろばん塾の5,000円、進学塾なんて万単位でかかりますから、めちゃくちゃ破格です。

手厚さに感激しました✨

 

そして初の利用日。

保育園に送迎車で迎えに来てもらうことになっていますので、いつもの通園バッグ+療育用のリュックと水筒をもって通園しました。

 

娘には『今日からもう一つの保育園に行くよ』と伝えました。

理解はもちろんできていない。でも何かを感じ取った娘の反応は…

⇒ いつもとちがう荷物を持っているのが気になる…
⇒ 嫌な予感
⇒ 怖いことが起こる
⇒ どこに連れていかれる
⇒ 何をされるんだ
⇒ パニーーーック‼‼💦

という感じだったんだと思います。

朝からこれまで経験ないくらい大暴れしました。

『%#&$%%&#%R&%#’$&~~~っっっ‼』と泣きながら何か叫んでいました。

でも朝食に大好きなトマトを出すと一瞬泣き止んで、とりあえず食べて、また暴れてました😂

 

結局通園後には先生にあやされて一旦泣き止んだみたいです。

でも、迎えに来てくれた誰か知らない人(療育の先生)2人に抱きかかえられた瞬間にやっぱりパニックを起こしたそうです😓

 

娘はママじゃないと絶対ダメということはなくて、色々な人にフレンドリーな対応をするので意外と大丈夫かな?ってどこか思ったのですが…敏感さが勝ちました。

 

 

療育の内容と娘の変化

 

このころの娘の状態

娘の成長の過程にいは他のわが子と明らかに違った部分が多数ありました。

・言葉が出ない

・水が顔にかかるだけで頭をいろんなところに打ち付けるくらい大パニックになる

・ある程度の座位を保てない

・外出先ですぐにどっかに消えてしまう

・家から脱走する

・何かに対して興味を持てないし無反応

・寝ない、寝つきが悪い

 

他の子と違ってよいところもあった

人が大好きで、特に女性やお兄ちゃんお姉ちゃんは初めてあった人でも基本的に自分から距離をつめていきました。

大人の男性は基本的にダメでしたが、イケメンのお兄ちゃん、一部のおじさん(匂いで判断?)は大好きでした。

この部分が唯一、娘のいいところだと思っていたのですが、これも発達障害の子の特性の一つだそうです。

 

発達障害の子の特徴『人との距離感の取りずらさ』

発達障害=人間関係苦手というイメージがありましたが、逆に好きすぎて執着や依存が起きやすいというタイプもあるそうです。

 

どうやら、娘はこっちのタイプだったみたいです。

 

 

療育開始後の娘の変化

慣れない療育に何とかついていく毎日と変化

そんな人懐っこい娘も、療育の日は毎日全開『行きたくない』モードで私も療育の日が大嫌いでした😓

 

療育の内容はというと…

 

公園に行って遊んで、砂場で泥遊びして、プールで遊んで、雑巾がけして、ワニさん歩きして、マッサージして、絵本を読んで、ごはんを食べて帰る‼

 

これをものの2時間半の間に詰め込むという盛沢山な内容で、このころの娘は不器用で体の動きも鈍く、ついていくのに必死だったのではと思います。

 

その一方で、娘自身の『どこに向けたらいいのかわからない衝動』を包み込んでくれたような気がします。

まずよく寝るようになりました。

水への恐怖心もだんだんと薄らいでいきました。

 

 

成長するから現れた言葉の障害と動きの緩慢さ

一方、言葉のほうは、2語文がたまに出る程度にはなりましたが、言葉が増えることで新たにわかってきたことが『活舌の悪さ』です。

 

あとは手先の不器用さや、限定した動きの為、よくけがをするようになりました。

 

こうやって何かが良くなれば次の問題が・・・エンドレス感で私はクタクタでした。

 

療育の先生はそれにも動じることなく、」進むべき道が間違っていないことをいつも示してくれました。

 

 

そして9か月後、ついに病名が判明するときがやってきます。

きっかけは保育園の健診でした。

 

☛病気判明のきっかけの記事はこちら

病名が判明した日|不安より安心感が圧倒的だった理由 - oyako-note’s diary

 

 

☛このシリーズ全体のまとめはこちら

【体験談まとめ】22q11.2欠失症候群の娘 妊娠・診断・治療・療育までの記録 - oyako-note’s diary

【体験談】2歳で療育に繋がるまでに親が考えた『必要のもの』

☛このシリーズ全体のまとめはこちら

【体験談まとめ】22q11.2欠失症候群の娘 妊娠・診断・治療・療育までの記録 - oyako-note’s diary

特性がだんだんと表に出はじめた時期、必要なものを模索していきました。

娘の病気について、2歳の誕生日が過ぎてからのことをお話します。

 

言葉が増えない、しゃべれる言葉も発音が聞き取りづらい

2歳がきても一向にしゃべる気配がありません。

単語もなかなか増えず、犬を見かけても私が「ほら!わんわんだよー‼」とテンション高く言ってもジーっと見つめるだけ。

 

ママは言えてもパパは言えず、パパのことも『ママ』と呼びました。

後から知りましたが、パパって発音は高度な技術が必要で娘には難しかったみたいです。

 

熱性痙攣が頻繁に起こる

そのころから熱が出た時に偶に痙攣をこすようになりました。

次男の時に2度の熱性痙攣を経験していたのですが、やっぱりわが子の久々の痙攣は慌てました。

それでも毛兼をしてくると『あ、もうそろそろ来るな』とわかるようになって時計を持って構えました。

現在も37.8度以上の発熱の時には予防薬の座薬を入れます。

おかげでここ1年半くらいは痙攣は出ていません。

 

個性的な娘は、どこに行ってもかわいがられる女の子

頻繁に地元の病院に通っていた娘は今でも常連さんとして、先生にもかわいがってもらっています。

 

そして、偶に何とも言えないくらい満面の笑みを見せるので、その瞬間を抑えようと私は良くカメラを持ち歩いていました。

 

髪の毛もなかなか伸びず常にボーイッシュな容姿でした。

 

私の仕事の関係で、保育園に2か月から通っていた娘ですが、他の事比較して動きもスローで、貫禄いっぱいでおすもうさんみたいなどっしり感がありました。

そのキャラクターのせいか、最初の保育園でも5か月目で転園した保育園でもすごくかわいがってもらい、2歳で娘は保育士研修のモデルケースとして扱われ、手厚い待遇を受けることができました。

 

どこに行っても、表情がないのにも関わらず、どこかファニーな雰囲気が何とも言えずかわいがってっもらったのを覚えています。

 

 

イムリミットの2歳の誕生日 療育の利用を決心

1歳6か月健診の時の決心、2歳になって成長が追い付かなかったら医療に繋ぐ日がやってきました。

 

保健センターから発達検査へ

そんな娘の成長具合にタイムリミットを感じた私は保健センターに相談することにしました。そこから療育を受ける為の受診が最短でできる病院を手配してもらい予約しました。

その病院は中規模病院で、娘の病気の核の部分まで調べてもらうことはできず、一先ず『発達遅滞』という病名をつけてもらい療育に繋いでもらいました。

 

後にかかる大規模病院は半年待ちということでこの時はスルーしました。

少し遠回りしたのですが、療育を早期に始めることができたので、それはそれでよかったと思います。

 

療育を選び方「どんな力を伸ばしたいか」

療育に関しては地域で4つあり、仕事の関係で送迎可能なところというのが条件でした。それに2か所がヒットしました。

2か所を娘と一緒に見学;に行きました。

 

  • 1か所目は私が想像していた療育の形で、先生と作業をする時間、椅子に座って書き物をする時間があり、2時間程度の利用。

 

  • 2か所目目から鱗の療育方針。机といすはありません。外には手作り遊具があったり、巨大な砂場があったり、まずは体をしっかり動かして身体の軸を作っていくことで言葉や情緒を育てるという方針の施設です。食育を大事にしていて地元の人や自分たちで育てた野菜や無添加の食材を作って提供しており、2時間の療育のあとに給食を食べて保育園まで送ってくれるスタイルです。自主性を育てることに主軸を置いているというお話を聞きました。

 

私は自主性を育てることは娘にとって一番大事と感じています。

親はいつかいなくなります。どうやって自分で生き抜いていくかを身に着けてやることが親の務めだと思っています。

 

そして、勉強は家でも教えることができるけど、外遊びのやりかたとか、体の使い方とか、集団の中で切磋琢磨して生きていく方法は自宅で教えることは難しいという考えでした。

それは娘に障害があるからではなく、他の3人の兄を育てるうえでも大事にしてきた理念でした。

 

 

なので即決で2か所目の療育を利用することで即決しました。

この選択が娘にとっては大きかったと今の段階でも感じます。

 

ついに療育デビューへ

そして娘が療育に通い始めたのが2歳3か月。私が保健センターに相談してから3か月、おそらくとてもスピーディーな流れだったのではないでしょうか。

関わってくれた方全員に感謝です✨

 

療育が始まってから、娘はマイワールドを発揮し始めます。

そのお話は次回・・・

☛療育が始まってからの様子はこちら

染色体異常のわが子の病気がわかる前の時期です。リアルに語っています。 - oyako-note’s diary

 

 

 

☛このシリーズ全体のまとめはこちら

【体験談まとめ】22q11.2欠失症候群の娘 妊娠・診断・治療・療育までの記録 - oyako-note’s diary

 

※この記事は、実体験をもとにした記録です。医療的判断については、必ず主治医にご相談ください。

 

【体験談】0か月から1歳6か月健診で感じた「何かがおかしい」という感覚

 

▶このシリーズの全体のまとめはこちら

【体験談まとめ】22q11.2欠失症候群の娘 妊娠・診断・治療・療育までの記録 - oyako-note’s diary

 

赤ちゃんは十人十色 『他の子と何かちがうな』と思っていた時期です  

受診は不要だけど…小さな違和感の数々

娘が産まれて、許容範囲の小さな異常はありましたが、無事に退院ができて、家での生活がはじまります。

待望の女の子、私もフリフリの服や髪飾りを準備していたものの…なんか似合わない(-_-;)

顔のむくみのせいか・・・

手足のずんぐりむっくり具合のせいか・・・

結局兄達のおさがりを着せることが多く、よく男の子に間違えられていました。

最終的にはもうめんどくさくて訂正もしませんでした笑

 

そして、鼻から食べ物が良く逆流して出てきていました。これも赤ちゃんならあることだと深くは考えていませんでした。

 

歩き始めるのは1歳2か月、早くはないけど3男が1歳6か月で歩き始めたのもあって「ゆっくりなだけ」で片づけました。

 

全体的にかなりのスローペースでの成長でした。

 

特に気になった言葉の発達

いろいろなことが不器用な子だという印象でした。あまり笑わない、声も出さない、寝返りやたっちもすごき時間がかかる。座るのも長時間安定して座れない。

 

ただ、言葉に関しては1歳になってもバイバイを言わない。ママとは何となく言ってるけどパパは言えない。

 

1歳6か月健診での違和感は確信へ

2語文も出ない中での1歳6か月健診、やっぱりほかの子ができることができない。

 

実は私も保健師の経験があり、子供の健診に携わったこともあるので大体どんなことを言われるか検討がつきました。

そんなこともあり、栄養士さん、保健師さん、先生等いろいろな人の発達相談と育児相談を受けるように勧められましたが、受けませんでした。

 

成長の猶予期間

その代わり2歳時点でやっぱりこの違和感が払拭できなければ、医療や療育に繋いでもらおうと決心しました。

なので保健師さんにもその旨を伝えて、了承をもらいました。

2歳の誕生日が過ぎたら電話をくださるとのことでした。

 

医療の知識がある分、焦りはなかったですが、今までの子育てと違う感覚に戸惑いました。

そして私も年を取ったからなのか、娘の成長のゆっくりさのせいか、仕事と子育ての両立に今までになくしんどさを強く感じ始めていた時期です。

 

そして2歳、初めて医療機関で検査を受けます。

徐々に病気のことがあかるみになってきます。

次回から2歳からのことお伝えしていきますね。

 

☛2歳で療育に繋がった話はこちら

娘、2歳になってから療育に通うまで「娘にとって必要なものは?」 - oyako-note’s diary

 

▶このシリーズの全体のまとめはこちら

【体験談まとめ】22q11.2欠失症候群の娘 妊娠・診断・治療・療育までの記録 - oyako-note’s diary

 

※この記事は、実体験をもとにした記録です。医療的判断については、必ず主治医にご相談ください。